油彩 160号
宮滝先生の絵画制作は学生時代から日本美術会および自由美術展
を舞台に2009年亡くなるまで50年続けられました。
先生は日本の「意匠法概論」を執筆された特許法の専門家でしたが
人生を賭けて取り組まれた対象はその範疇に留まっていませんでした。
それらは趣味の範囲ではなく、それぞれが専門的でした。
絵画や陶芸は特に・・・
先生の絵画のテーマの多くは「存在」でした。
今に思えば、なぜこのテーマに拘ったのか聞かなかったことが悔やまれます。
神奈川の山北で窯を焚きながら聞かせてもらった話で
「・・・少年時代、死に至る病に掛かり、入院している夜中
隣に寝ている闘病仲間が死んで、連絡しても放っておかれ
朝まで亡骸と隣り合わせでした・・・
私は多感な青春時代にそんな経験をしていました。
この世に神仏があるののだろうかと、
大学を卒業し再び神学部に学士入学して宗教を学びました・・・・」
こんな話をされていた宮滝先生の
絵や陶芸に向かう姿勢のどこかに少年時代に死と向かい合った体験の影響が
あるのではないかと感じ取ろうとしました。
答えは憶測の域で、そのうち質問してみようと・・、そう思っていました。
でも、その機会は永遠に失いました。
抽象画は、観る人が感じたまま受け止めればいいと、よくいわれます。
しかし、それでは理解できないと感じられる人は多いのでは・・
感じたままでも充分なのですが・・。
NHKの日曜美術館をみていると、抽象作家の場合
絵画にしても彫刻にしても、作家の制作意図を知って
初めて、なるほどそうだったのか・・と思うことは多いです。
・・・・・・。
先生は私に、「作品は今、評価される事を目標にするのでなく
50年100年先に、どう評価されるか見据えて制作しなさい。」と、よく言いました。
2002年、宮滝先生は
自由美術協会史を編纂され、巻末に文章を寄せられています。
ここに、先生の絵に対する考え、姿勢が見えます。
それは取りも直さず、先生の生きる姿勢そのものに思えます。
「・・・・・・・・・
かつて先人がいだいたこだわり、それゆえに生み出した証言としての作品、
これらが問い掛けてくるものを感知するところから、
我々はこの自由美術協会を引き受けていかなければならない。
※ 2002年「自由美術協会史」 文責 宮滝恒雄、福田篤」
「・・・人間存在のあらゆる分野にわたって、人間存在を否定する条件が浸透し、蔓延している。そういう状況の中で制作するということを、どう意識するのか。あるいはしないのか。・・・」
自分には厳しく妥協を許さない人でしたが他人には思い遣りが深くやさいいでした。
宮滝先生の絵の題に「存在」「状況」が多く在るのは、
この文章にある言葉と一致する気がしますが、
今となっては推測でしかありません。聞いておけばよかった・と、先生の絵を観る度に思います。
2009年秋、せいざん画廊のオープンは宮滝先生と私の2人展を二人で計画していましたが
果たせませんでした。
2011年8月 せいざん画廊 古川博久
※宮滝先生の絵画へリンク