せいざん画廊

「せいざん画廊」、青木せいざん、 古川博久 の作品を紹介します。
       所在地 鹿児島県姶良市加治木町                  △問い合わせ メールアドレス f.hiro@leo.bbiq.jp

2011年6月21日火曜日

            1990年の頃、SteveTobinはペンシルベニア,クパーズバーグに
           1850年に建てられた古い農家を買取り、この納屋をアトリエとして 
           奥伝三郎と制作を始めました。
            SteveTobinと奥伝三郎の制作での展開は彼らのリンク先でごらんください。


           奥とSteveの出会いは川崎の東京ガラス工芸研究所でした。
           アメリカから講師で来日していたSteve、かたや生徒の奥でした。
           奥の秘めた才能に気づき惚れ込んだSteveは奥をアメリカへ誘いました。
           
           奥が2年間のガラス工芸研究所で制作したのは卒業制作の魚の骨一つでした。
           芸大受験に失敗、美術の道を断念していた奥は当時アメリカの大学にいた古川
           の誘いでガラスの勉強を始めたのでしたが、35歳で出会ったガラスという素材に
           水を得た魚みたいに息を吹き返したのでした。
           作品は3メートルの高さの突っ立った魚の骨で、ポンコツのハコバンを買って
           東京から鹿児島へ持ち帰りました。
            「2年も、いったい何を勉強していたんだ!」という批判は、
BONESに出会っで得意げな奥には馬耳東風、馬の耳に念仏でした。
            その作品に驚き賞賛したのは古川博久と、他、ほんの数人だけでした。
           ガラスは工芸だ、彫刻ではない。とか、壊れるもの、朽ち果てていく物に
           評価とか対価の対象にはならない。等などと、日本では評価され難いと、
           作品はニューヨークの画廊へ・・。
           その作品は3ヶ月後ニューヨークタイムスが写真掲載で紹介。
            「・・・・ドラマチック・・」という言葉で表現されていました。
           ガラスだから工芸と分類されがちなものを、これはもう美術だと
           そう受けえとめてもらえたと・・、
           奥と古川は二人だけで祝杯・・。
           やがてその作品はスイスのローザンヌの美術館に買い上げられました。
           そして、SteveTobinの元へ、日本を離れました、。
           (これらの経緯は古川博久陶芸ブログのデサイド(経済雑誌)
             音羽日記「海を渡る芸術家たち」で紹介されています。)


           Steveの元へ渡米した奥は、アメリカのガラス工業会のフェローシップを
           異例の2回も受けました。
            ・・・
            しかし、奥は2000年に突然癌で倒れました。
           
           胃癌で末期、転移も認められ・・・
           生存率は20%と宣告を受けました。
         
           つづきます・・
          


             SteveTobinと奥伝三郎が創作活動を始めた
             ペンシルベニアの工房(1850年代の農家の納屋)